都市という幻想
衛星都市に住んで1年が経った。
都心にたやすく出られる街に移ってから、わたしはすっかり変わってしまった。
都心に行き、流行りのものを買い、それをインターネット上で公開することが日課になってしまった。
他者の目が氾濫している都市だからこそ、ブランド品のバッグが欲しくなった。承認欲求を満たすためには都市が適しているし、都市にいると承認欲求を満たすための、記号としてのブランドが欲しくなった。ここで考えてみたい。
誰ひとり歩いていない田んぼ道でブランド品を持って歩くことが果たして意味を成すのか。誰も見ないブランド品は意味を成すだろうか。付加価値が備わっていたとしても、認める人がいなかったら機能しない。
流行りものもある種のブランド品だろう。
「流行に乗っている私」は「洗練されている」という幻想から、ひとは流行りに乗っているのだろう。
巨大な承認機構の都市。
SNSの発展により、世界は都会が広がったといえるだろう。なぜなら、SNSによる社会のユビキタス化で流行は場所を問わなくなったから。
よりこの世界は都市が広がっていく。
都市に移り住み、そして都市の象徴のようなSNSを始めた。他者からの承認を得ようと日々何かを発信していく。流行りのものに飛びつき、「みんな」がよく行く店や場所に向かい、それを投稿し、共感を招こうとする。
しかし、承認は相手主体の行為であり、じぶん自身には何も残さないのだ。
本当にそれでいいの?
もうすこし、立ち止まってゆっくりしたい。
そう思ってわたしはブログを新しく作りました。
ここでは思いの丈を述べる。
承認を得たいから、ブログを始めてしまったのかもしれないけれど、他者の目を気にせず、のびのび言葉を選んで生きたい。
そんな思いを込めて、このブログを始めました。
新しく生活を始めよう。そう思った2月の深夜であった。
丁寧にじぶんを見つめることも忘れずに、これからも生きてゆく。